ダニング・クルーガー効果

つれづれなるままの覚書

雨が降っている。

 

 

 

ひさしぶりに人間の醜悪さに嫌気がさす。ああはなりたくないな、と負のエネルギーだけで物事を決めて少し心が軽くなる。そんな自分が嫌になる。

 

 

東海に住む人間が訪ねてきたので一緒に観光した。有名どころの観光地、今更行くこともないので新鮮でたのしい。気心知れた仲であるという甘えから彼の振る舞いに対して苦言じみた暴言を吐く。口にしてから後悔した。

 

 

隣の芝生はやたら青いし他所のところの花は燃えるように赤い。つまるところそういうことなんだとおもう。

 

赤い花といえばなんですか。高校の通学路には2本の赤い花が並んでいた。大学入試後、入試会場から学校に戻る暖かな昼下がり、ようやくそこに花があることを認識した。花の名前がわからなくて問えば、隣の友人は曼珠沙華だと答える。黙ったまま眺めるわたしの横で友人はシャッターを切り、その瞬間を閉じ込めていく。今でも鮮やかに思い出す。

 

自分の心にゆとりがないときはあまりにも周りが見えていなくて押しつぶされそうになる。大学入試後に学校に戻っていなければ曼珠沙華にも気付かず卒業していたかもしれない。事実前科2年持ち。

 

大切な人に教えてもらった本や映画や花の名前はどれも大切に覚えている。川端康成はやはり偉大な文豪である。

 

 

春休みに映画をたくさん見ているのだけれど、クライマックスで原作から変更されているものの受け止め方がよくわからない。原作の作者はどんな気分なんだろう。というか脚本家、原作よりもよいものを作れているという圧倒的な自信があるからそうなっている……?

 

原作至上主義アンチ脚本家、なわけではないけれど原作ファンからしたらそりゃ違和感があるわな。これまで映画をほとんど見たことがなかったのでそんな当たり前のことにようやく気が付いた。新しい気付きだった。前科19年?んなことはないか。

 

 

誰かにインスピレーションを受けたとしても、その人になりたいと思わないこと。心を殺してしまうから。うるせぇよわたしはわたし以外のすべてになりたい。

 

 

おわり。あのとき友人が閉じ込めたあの一瞬は、今ではわたしのSNSのアイコンになっている。