ダニング・クルーガー効果

つれづれなるままの覚書

11月まとめ

 

・母に泣きながら電話をかけたら、月の後半から母が下宿先に来てくれることになった。学生のひとり暮らしには持て余す3LDKはこのときのためだったのか。父、先見の明があったのかも。

 

・自分が好きだったはずのものを辿って、そうやって自分らしい毎日を過ごそうとして、でもぜんぶ失敗してるのが結構メンタルにキているらしい。さつまいもが好きだったはず、と思って食べて、ぜんぜん美味しいと思えなくて落ち込んで、かぼちゃを食べて落ち込んで、コンビニのスイーツコーナーでどれも食べたいと思えなくて落ち込んで。もういっそのこと食事は作業だと割り切ってバランス栄養食でも食べておくか。

 

・ベランダで育てていたはずのさつまいもは何も実らずに終わった。

 

・ゼミの無償労働で小学生の地域探検のお手伝いをすること2回。10歳、パワーが有り余っている。翌日は夕方まで布団から出られなかった。雰囲気にあてられるってたぶんこういうことを言うんだろう。走ったりはしゃいだり、わたしもあの時代に戻りたいよ。最後お別れするときに名残惜しそうに手を振ってくれたのがとっても可愛くて、それまでの打ち合わせで同期と険悪になったこととか、先生からの直前のダメ出しで泣きそうになりながら原稿を書き直したこととか、なんかもうぜんぶどうでもよくなった。来年もやれって言われてもぜったいやりたくないけど。

 

・文学は人間の孤独を救うものだと思う。ので、文学の研究者がこれ以上ない孤独に追い詰められることだって想定内というかなんというか、であるべきだった。孤独を救う学問はその孤独の先にあるものを相手にしているのだから孤独になるに決まっている。毎日毎日活字と漢文と向き合って、新しくデータを作ることはできなくて、限られた情報量で何かを論じることが求められて、そんな状況に置かれた人間は当然のごとく病む。

 

・もっとがんばってる人だってたくさんいる、けど、ちゃんと前に進もうとしてるからわたしなりにがんばれてるよ。たぶんね。

 

・と言いつつも自分に余裕がなさすぎて人に刃を向けてしまうことが多々あって、そのたびに追い詰められる。しかもほぼ八つ当たりみたいなものだから性質が悪い。不甲斐なさと自己嫌悪とその他もろもろで自暴自棄になって、また刃を振るって、なんかずっとそんな感じだ。冴えないね。

 

・11月が終わる。なんだかずっと苦しかった。来月の話、は、ちょっとまだできそうにない。