ダニング・クルーガー効果

つれづれなるままの覚書

7月まとめ

 

・意を決して芥川賞受賞作を読み始める。ふと奥付のページを見ると「一九九九」の文字が踊っていて思わず本を閉じた。雑音がうるさい。

 

・重ねた数字はそのまま個人の価値の大きさではないと言う。そんなこと、とうの昔から知っている。年齢を重ねても重ねても一生追いつけない背中があることを理解するくらいには大人になってしまった感覚がある。

 

・久しぶりに高校時代に使っていた音楽プレーヤーを引っ張り出してきてイヤホンをつないでみた。最初は「こういう曲が好きだったんだっけ?」とあんまりピンとこないまま聴いていたんだけど、そういえばこの曲はあのとき行ったカラオケで先輩が歌ってたな、とか、YouTubeを漁ってたら見つけたんだっけ、とか、案外たくさん出てくるものなんだな。久しぶりに思い出に浸った。

 

・だれかのことを批評してわかったような気になっている人がこの世でいちばん苦手で、でもわたしもそれをしてしまうし、自分にとって大切な人から得る評は少しでもよいものでありたいと感じるくらいには欲深いし、それってとっても人間らしいから人間はきっと随分前から終わっているしまだまだ捨てたもんじゃない。

 

・人間だから、いろんな考え方があって、その中にはきっと自分とは相容れないものもあって、でもそれって考え方の優劣じゃなくて。そんなこと嫌になるくらいわかっているのにそれでも折り合いがつかないのってどうしてなんだろうね。

 

・何も考えずに生きていたい、なんていう感性は持ち合わせていなくて、考えて考えて悩み抜いて自己嫌悪しながらたのしく生きていければいいなと思う。案外今のわたしの人生ってそうなのかもしれない。わたしはね、たくさんのことを考えた上でたのしく生きたいんだよ。

 

・自分勝手なくせに、一生自分軸では生きていけない。本当にどうにかならないものなんだろうか。気づいたら周りから人がいなくなってしまうことになるようなムーブ、何回繰り返すんだろうなあ。相手のやさしさにすべてを委ねてしまっている気がする。よくないわね。

 

・全体的にパッとしない月だった。自分のちっぽけさとか、どうしようもなさとか、そんなものとばっかり向き合わなくちゃいけなくて、正直すごく苦しいひとつきだった。雨乞いの儀式のコツは降るまで続けることだって人は言う。太陽を呼ぶ儀式も同じなんだろうか。

 

・7月がおわる。来月は少しでも陽の光が覗きますように。