ダニング・クルーガー効果

つれづれなるままの覚書

9月まとめ

 

卒業論文の進捗が地獄みたいな有様を見せている。ゼミの担当教員に泣きついて(これは比喩ではなく先生の研究室で大泣きしたということ、もう21歳なのに!)ふりだしに戻る、を行って、ついでに言うなら母親にも泣きながら電話かけた。母親の前で号泣するのなんて何年ぶり???ここ最近のわたしのメンタル、あまりの自身の不甲斐なさで正直いつでも泣ける。泣きの演技したら迫真すぎてアカデミー賞とか獲っちゃうかも。

 

・ミュージカルを見に行った。とっっっっっっても浅い感想になるが、歌がうめェ。あのキーをあの声量で出すの、人間には不可能だろ、みたいなとこまで出ててもはや理解が追いつかなかった。すごすぎた。でもミュージカルならではの抑揚とか、動き方とか、昔はよくわからなかったところもきちんとすごさを感じられた気がする。あとアドリブで演者の皆さんが素に戻ってるのも一興だった。

 

・仲良くしてくれていると思っている人は実は仲良くしてくれているのではなくて、それに隠れてわたしのことをうまく使っているだけなのかもしれないと気づいた瞬間の絶望が恐ろしい。優しいからわたしをたくさん労わって褒めてくれてたけど、たぶん暇だからわたしを遊びに誘ってくれているし財布が寂しいからわたしの家に泊まりに来ていた。世の中そんなんばっかだな。

 

・とか言いつつわたしはわたしが大切な人を正しく大切にして、きちんと好意を伝えられているんだろうか。急に心配になった。

 

・バイトをやめた。可愛がってもらっていたと思う。裏で作業していた強面料理長は、わたしが通りかかるたび、「小娘」と呼び止めてこっそり甘いものをくれた。基本的にスタッフをさん付け君付けでしか呼ばない女将さんが、わたしのことを隠れてちゃん付けで呼んでいたことだって知っている。バ先からの電話越し、切る直前に別のスタッフに向かってそう呼んでいるのを何度か聞いた。賄いはいつも美味しかった。多忙さを言い訳にしてやめた。

 

・常に人手不足で2週間に1回しかシフトに入れなくてもびっくりするくらい喜んでもらえるような店だった。居心地がよくて、だからやめた。求められているのは労働力であって、愚鈍なわたし自身ではないことにも薄々気がついた頃だった。

 

・自己肯定感が低い人間は、自己を肯定されても労働力を肯定されても同様に受け取ってしまうのかもしれない、となんとなく思う。わたしがそうなので。だからワーホリだとか社畜だとか呼ばれるタイプの人間になってしまう。

 

・文体がどうにも暗くて困る。そういう周期なのかも。最初2つ以外、ぜんぶ同じような内容について書いてる気がする。

 

・自分自身のメンタルに余裕がないときは人のやさしさを素直に受け止められなくなるし、邪推ばっかするし、急に他人の性格が悪く思えるし、多分だれだってそんなもん。でも大抵の場合は自分自身が捻くれてて、地雷が増えてて、だから何も受け止められてなくて、そうやって自分自身で生きにくい方向にもってってるだけだってこともちゃんとわかってる。だってわたしの周りにいてくれる人はいつも優しい。上に書いた知り合いだって今のわたしに余裕がないのをわかってて連絡を控えてくれてるから結果的に "用事(宿泊)があるときだけ連絡する" みたいになってただけだし。ちゃんと真正面から向かっていけなくてごめん。

 

・結構苦しい1ヶ月だったなあと振り返って思う。来月はもう少し生きやすくなりますように、とは思うもののそろそろ冬なんだよな。元気に生きたい気持ちだけはあるんだけど。

 

・9月が終わる。10月も波乱の予感。